LOHAS Life〜身体は答えを知っている 〜

種取物語 あまつち ふぁ~む  身体の答えを聞く【キネシオロジー】種 健康 癒 食 気 旅 環境。。。。

岡山県蒜山高原5 戦時中

山にはカタクリの花が咲き乱れていたらしく
他の花々とともに、手の入らない山は季節ごとの
自然の彩が美しかったと聞いてます。
 
軍の訓練施設ができるまでは。。。。
 
道を通し、山を切り開き、兵舎ができ
演習場となった山は銃音や爆音が響き
どこかから集められた兵隊たちは訓練を受け、戦地へ向かう。
兵舎があるので、バスの便が多く、戦時中でも交通の便は良かったようです
今はバスがないので、車がないと生活できません
 
戦争が激しくなり、物資が滞るようになると
食糧が兵舎に届かなくなり、訓練を各集落に出向いて行うことにしたようで
弾のない銃を持ち、各部落の近くで『打ち方始めーーー』と何時間も行い
各集落では、兵隊さんが来ると、男手がいない中、苦労して手に入れた食糧を
持ち寄り、炊き出しをして兵隊さんへ食べさせていた。

食事を終え、家を出た時に母が行進の近くを通ろうとした時
一人が母に銃を向けた!!!
ビックリして大泣きしたらしく、周りに取り押さえられた兵隊さんは
おかしくなってたのかもしれません、10代、20代前半の若者は
戦地へ向かう訓練、食べる物もなく、意味も解らず故郷を離れた生活で
人殺しを教えられるんですから。。。。

戦争末期の日本は山奥でも食べ物はありません
収穫したお米はすべて取り上げられ、配給を待つしかないからです
それでも、両親はサツマイモのツルは食べたことがなかったと言います
蒜山は山菜や魚がいたからかもしれませんが、ほぼ顔見知りの小さな村では
助け合って生きていたと思います。
 
広島に原爆が落とされたとき
『南でなにか大変なことがあったらしい』と話になっていて
焼け出された人が反物をもってたくさん来られたそうですが
麻を育てて自分たちで織っていた蒜山の人は、蔵に反物が眠っています
いらないと言えば、飢え死にするかもしれない人たちに、
少しのお米を渡して反物を受け取った。
反物を渡した方にすれば、『たったこれだけ。。。。』でしょうが、
食糧が貴重な時、何よりも価値があるのは水と食料です。
畑の食糧を守るために、自衛団が作られたとか(真偽不明)
 
近所の方のお墓にも『死没地○○島』って書いてあるのが見れます。
生まれてから一度も村から出たことないのに、連れて行かれたのは南の島
そこで、10代の短い生涯を終えた多くの人たち、
戦争を世界からなくすために、伝えておく必要がある戦時中の話。
どの時代も悲惨な目に会うのは、庶民です
 
耳をふさがずに、今、体験者の話を聞いておきたいと思います。
 
 
 
  

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